子育てをしながら働くときに、保育園や学童保育などに支援をしていただいた。
もう少し詳しく、子どもがそれぞれの年齢のときに。
どのようなことが大変で、どのようなことを心がけていたか。
「保育園時代」「学童保育時代」に続いて「小学校高学年時代」についてをお伝えします。
学童終了後、塾へ通うようになった
学童保育が小学校3年生で終了。
4年生からは、放課後の過ごし方を自分で工夫しなければなりません。
幸い、我が一家が住んでいた、神奈川県川崎市には「子ども文化センター」(児童館)という施設があり、団地の敷地内でもあったので、同じ小学校の多くの子どもたちがそこで遊んでいて、息子もそこに「ほぼ入り浸っている」毎日でした。
とはいえ、17時まで先生が管理してくれる学童保育と異なり、家で1人で過ごす時間も長くなってくる。
そんなときに、お友達のお母さんから「うちの子が塾に通うことになったんだけど、ご一緒にいかがですか?」とお誘いをいただきました。
巷には、さまざまな学習塾チェーンがあり、なかには、夜ごはんのお弁当を持たせて21時過ぎまで授業があるところも。
その目的は「中学受験」となります。
私自身は、小・中・高とすべて公立学校でしたので、中学受験なんて、遠い世界のことと思っていました。
そのお母さんが選ばれたのが、土曜日も含む週三回の授業、夜は19時まで・・という形式の某塾。
成績によって、その都度席順が変わるような塾もあると聞いていたので、コチラは比較的ノンビリしているとのこと。
定期的に放課後を過ごす方法としては、悪くないなーと考え、息子に聞いてみると。
「ボクも行ってみたい」と言うので、見学しに行き、入塾を決めました。
費用もそれなりにかかる。
夏休み・冬休み・春休み期間はまとまった講習があり、通常の授業料以外にもチョコチョコ支出が増えます。
塾には、自分たちでバスに乗って行きますが、一緒に通っている友達何人かと必ず行動する。
帰りは私が迎えにゆけばよいので、「今頃家でどうしているのだろう?」と心配をせずに済む日があるというのは、安心。
お金がかかるのは仕方ないなーと思いました。
中学受験を目指すことに
塾の勉強はなかなか楽しかったようで、息子もいっしょうけんめいに取り組んでいた様子。
定期テストで良い点数を取ると「会報誌」のようなものに名前が載るので、それも励みになったようです。
すると、だんだん親子ともども「中学受験をしよう」との目標を持つにいたりました。
学童がわり・・という程度しか考えていなかったのに、なにやら「瓢箪から駒」といった感じ(笑)
加えて、そのまま地元の公立中学校に進学していたら、当時すでにが少子化が進んでいて、1学年1クラスしかない・・・という話も出ていたので、もっと大勢の仲間とともに中学ライフを過ごしてほしいな。と思ったこともあります。
教科ごとの先生にもさまざまケアをしていただき、
小学校4年生から6年生までの三年間、塾にもスッカリお世話になりました。
余談ですが、中学入学後に先生から言われたこと。
「みんな、受験を乗り越えてきているので、『カリカリやる』のに慣れていて、授業の集中度合いが違いますね。」
その後も、この「集中力」は折々、息子の生活に役立っているようです。
受験モードへまっしぐら・・・そんなときに
そうして、6年生になったころから、目標校を絞り始め、学校見学にも家族全員で出かけます。
そのなかから、息子自身が「志望校」の順位を決めてゆき、過去問にもせっせと取り組む。
夏休みを終えた頃からは、受験モードまっしぐらです。
家庭内でも、何かと言うと「○△中学の偏差値は・・」「定期テストの点、もうちょっと伸ばしたいねー」「過去問、けっこういい感じに答えられてるー、さらに満点を目指そう」
・・etc.そんな話題ばかりになってしまっていた。
すると、年末近くになって息子の様子に変化が。
友達とスーパー内にあるゲームコーナーで夢中になって、塾に行っておらず、先生から「どうしました?」と連絡があったり、
歩くと1時間近くかかる隣町にふらっと散歩に行って、帰ってこれずに、私の職場に「ココはどこかわかんない~~」と、息子から電話がかかってきたり・・・。
(そのときは、なんとか本人の説明から居場所を探り当て、近くにあった本屋さんでしばらく過ごさせてもらうことにして、仕事を早退し迎えにゆきました)
きっと、プレッシャーやストレスも相当あったのかもしれません。
なにしろ、日中は家に居られないので、そばで見守ってあげることができない。
「受験、止めよっか」て聞いてみたところ「止めない」との答え。
「止めてもいいよ」と再度言ってみても「受ける」。
おそらく、私がそう口では言っても、心では違うことを考えている・・というふうに察したのかもしれません。
なんだか申し訳なかったなー。まだまだ未熟な親でした。
塾の先生にも相談してみて、普段以上に注意深く見てくださるとのこと。
そうこうしているうちに年が明け、受験予定にしていた3つほどの学校に出願をしました。
当時2005年。
どの中学も2月1日の入試スタート時から一週間ほどは、ほぼ毎日試験日を設定していて、受かるまで何回でも受験することができました。
1校につき受験料が1回2万円くらいかかり(複数回の場合は割引制の場合も)コチラも相応の出費に。
また、それぞれの学校をどの日程で受けるか・・というスケジュールも親子で相談して決めました。
そして、2月1日からの受験週間が始まった
2月1日
初日は、第一志望校を受験。
門の外で、それぞれの塾の先生が立って待っていて、励ましてくれます。
息子がいつもお世話になっている先生の姿も見えて、ぽんと背中を押してくれました。
その週は、夫と交代交替で休みを取って付き添う。
子どもたちが受験している間は、親はヒタスラ控え室で待つしかない。
試験が終わった後は塾に立ち寄って、すぐに振り返りの授業が行われる。
「あまり上手くできなかったかも・・」と、やや自信なさげな息子。
18時ごろになると、ネットで合否の速報が発表されます。
パソコンの画面を見て「ボクの番号、なかった・・」とつぶやいている息子。つらいね。
さ、明日明日!
2月2日
第一志望校にはほぼ毎日出願をしているので、翌日も同じ学校に受けにゆく。
「今日もちょっと上手くいかなかったかも・・」
そして、合否速報を見る→今日もなかった。
チラホラ、他のお子さんの合格報も漏れ伝わってくる。
このままだと、気持ちが落ちていってしまうのでは?これから追加で出願できる学校はないのだろうか?
必死に探したら、1校ありました。新設される学校で、午後受験の出願がまだ可能なところが。
藁にもすがる思いで急いで書類を出しにゆきました。焦る私の気持ちを察してくれたのか、係りの方が「お母さん、大丈夫ですよ」と温かく声をかけてくれたのが、本当にありがたかった。
2月3日
三日目は、午前中第一志望校を受けて、午後、直前で出願した学校を受けて。ダブルヘッダー。
さぞかし疲れているだろう・・と思いきや、午後の試験を終えて教室から出てきた息子「今日は簡単だったよー」とニッコリ。この学校の結果発表は翌日でした。
第一志望校は三回目もやはりNG。
運命の、2月4日
四日目は、どこかを受けに行っていたか留守番していたかは忘れてしまいましたが、夫が休みを取っていた。
新設校の合否発表が18時にある。
仕事もあまり手につかず、ソワソワしながらそのときを向かえ、職場のPCから思わず見に行ってしまったところ・・ありました!息子の受験番号が!
何回も何回も見て、確かにある。
「やったー!」と叫んでしまい・・周りの仲間からも拍手をもらっちゃいました(笑)
ほどなく、息子からも携帯に電話がかかってきて「ママ、受かったよーー!」と嬉しそうな声。
15年近く経った今でも、そのときのことを思い返すと、涙が出そうになります。
その後、もう1回受けた第一志望校は残念ながらご縁がなく。仕方ありません。
最終日、2月5日
最終日は土曜日でしたが、ほっとしたせいか私が発熱してしまい、夫がチャレンジ校(本人のレベルよりやや高い学校にチャレンジする)受験に連れてゆき。
帰りに息子がずっと欲しかったという「プレステ」を買ってあげたとのこと。
結局、そのチャレンジ校もNGで、第一志望校の複数回も数えると「1勝5敗」にて、我が息子、中学受験の幕引きとなりました。
落ちる挫折と、受かる喜びと。小6のハートには少しきつかったかしれません。
毎年、2月1日になると、
「頑張れ中学受験生」というポスターが駅などに掲示されます。
それを見るたびに、往時が思い出され、切なくなっちゃう。
プレッシャーを乗り越えた息子に、あらためてエールを送ろう。
最後にひとこと
そんなこんな、山アリ谷アリの、小学校6年間。
保育園卒園のときからさらに、小学校卒業のとき。「子育ての大きな節目」を終えた・・と感慨深いものがありました。
「他の方に保育を支援してもらう」という時期は、これで完了。
多くの方々に支えていただいたからこそ、過ごすことができた、仕事と子育ての12年間でした。
息子の第一志望ではなかった、新設の中高一貫校でしたが、先生も生徒も「新しい文化をつくっていこう」という活気に満ち溢れた総勢180人くらいの、男女共学校。
さまざまな地域から通ってくるたくさんのお友達にも恵まれて、中学ライフが順調にスタートしていったようです。
ところが、次なる問題が待ち構えていました。
思春期真っ只中。テーマは「心の問題」へとシフトしていき、親とも対話をしなくなる。
ココを乗り越えるのも、なかなかにタイヘンでした。
また折々、記事に書いてゆきます。
長文になってしまいましたが、お読みくださりありがとうございました。
息子が中学生になってから。
よろしければこちらの記事をどうぞ。