こんにちは。ワーキングマザー28年の いくみ(@nesan_blogger)です。
子育てをしながら働くときに、保育園や学童保育などに支援をしてもらいました。
もう少し詳しく、子どもがそれぞれの年齢のときに。
どのようなことが大変で、どのようなことを心がけていたか。
以前に書いた記事「保育園時代」に続いて「学童保育時代」についてをお伝えします。
なお、私の息子が小学校入学したのは1999年のことなので、時代背景など古い点があるかもしれませんがご了承ください。
保育園卒園から学童保育利用開始の間まで
小学生になってから、学校に併設されている「学童保育」を利用しますが、新入学の利用開始は、1999年当時は4月1日から。
保育園卒園という一大イベントを終えて翌日。急に預け先が無くなっていちばん困ってしまうときです。
卒園式が3月20日。なので、その後10日間ほど。
大阪に住んでいた我が一家。夫の実家は九州、私の実家は関東。どちらにも頼ることができません。
丁度その期間に開催の、民間の「スキー合宿」を、保育園のママ友が探してきてくれたので、そこに子どもたちを送り込んだ記憶があります。
(余談ですが、学童保育の初日に、先生から「キミ、ずいぶん日焼けしてるねー」と言われたことを思い出しました、笑)
入学後は子どもの足で1人で行って帰ってこなければならないために、夫と私が土日の休みのときには、その「練習」をしてみたり。
家の鍵を持たせて、開け方や締め方をレクチャーしたり。
そんなこんなで、この10日ほどを過ごしたものです。
学童保育利用開始
4月1日になると、小学校入学より先に、学童保育に入ります。
学期のときは、息子の登校後に私が家を出ることができますが、春休みや夏休みなどの期間は学童保育が9時始まりなので、私が先に出なければなりません。
いきなり初日から、1人で鍵を締めて家を出て‥では心細いだろうと思い、入学式までの間は、しばらく出社時間を遅らせてもらいました。
そして、初日の息子帰宅後。なんとか鍵を開けて1人で家に入ったようで、私の携帯に"帰ったよコール"がかかってきたものの。
「お母さーーん。こわいよぉーーーっ」
飛んで帰ることもできず、どうにもならない。
同じマンションで親しくさせていただいていたお宅に連絡をして、ちょっと居させてもらえませんか?と頼みました。
でも、毎日お願いをするワケにはいきません。
次の日は、我が家からは少し遠いのですが、同じ保育園だったお友達のお宅で過ごさせてもらったり。
「何回でもお母さんの携帯に電話かけてきていいからねー」と励ましてみたり。
この時期は、親子ともども、ホントに大変だったなー。
やがて、お友達の家に行き来するようになる
そうこうしているうちに入学式を迎え、1~2週間くらい経った頃でしょうか。
学童でもお友達ができて、何人かで帰ってくるようになりました。学年はさまざまです。
すると、途中で誰かの家にみんなで寄ったり、公園で遊んだり。我が家にお友達が来ていることもあったり。
なんだか楽しそうです。
やはり、子どもの順応性は高いもの。
親同士はまだお互いに顔見知りではないため、その都度、お世話になったお宅に電話をして、お礼をするのも忘れちゃいけません。
こうして、親も子どもも、自然と知り合いが増えていったものです。
残念ながら、小学校2年生の1学期終了後、関東に転居することとなり。
お友達とはお別れになってしまいましたが、その後も子どもたちは年賀状のやりとりをしばらく続けていたようです。
転居後の川崎市で再び学童保育に入る
転居後の住まいは「学校と近い」「安全性が高そうである」ということを重視して、神奈川県川崎市の団地を選びました。
川崎市こども文化センター
息子が小学校2年生の夏休み。
今回もやはり、学校の入学より先に、学童保育に入ることとなりました。
川崎市では、息子が利用時の2000年頃は、それぞれの町に設置されている「こども文化センター」という、学校とは別の施設で学童保育をおこなっていました。
このセンターは、学童以外の子どもたちも自由に遊べる場所。
当時は18時閉館、利用も小学生に限る‥となっていましたが、2019年1月現在、21時まで開館(月~土、日祝は18時)、0歳~18歳まで利用できるようになっているようです。
※2021年3月時点では、新型肺炎感染防止対策にて開館時間を短縮中
この施設には、ほんとうにお世話になり、ありがたかったなー。
学童終了(17時)後も、閉館までつねに息子たちは入り浸っていたものです。
ココに居ると分かっているから、さほど心配せずに済む。
センター閉館後は、私が帰宅する頃までの30分ほどを、家で留守番する‥といった毎日でした。
その後、川崎市内の学童保育については学校内にある「わくわくプラザ」という施設での実施となりましたが、こども文化センターは「児童館」として、引き続き活用されていました。
こんどは実家の親に助けてもらうことが可能になったけれど、困ったことも起きる
川崎市は私の実家から比較的近かったため、学童開始直後しばらくは、母に来てもらって留守番をせずに済むようにしました。とても助かりましたが、一方、困ったことも起きます。
それは、母からの"口撃"
「こんなに小さいのに一人で留守番させるなんて、かわいそうに」
転居直後に帯状疱疹に罹ってしまった息子。
「ストレスのせいだ」
しまいには、学童の先生との連絡帳に勝手に書き込みをしていたり、
私が書いたコメントを見て「こんなことを書くべきじゃない」と言ってきたり。
孫かわいさに‥というのはわかりますが、
ただでさえ仕事で疲れて帰ってきて、さらなる追い討ち。これはキツかったーー。
数日来てもらいましたが、その後は丁重にお断りをするに至りました。
利用していたこども文化センターは、通っている子どもたちがみな同じ団地の住人ということもあり、ほどなく馴染んで過ごすようになり、ひと安心です。
その他に困ったこと
それ以外に困ったこともいくつかありました。
鍵を無くした
これは、2~3回"発生"
ランドセルにぶらさげるタイプのキーホルダーで頑丈なものを使っていましたが、老朽化すると気づかず切れてしまったりするもの。
あるときは、学童のお友達のお家にお邪魔させてもらっていたらしく、途中連絡が取れなかったため、学童の先生に電話をかけて、近辺を「捜索」してもらいました。
すると。
「お母さーーん、○○クンのお家にいさせてもらってるよー」忘れた頃に、息子から連絡がくる。
ほっとするとともに、
「もーーっ。今頃電話してきてーー先生に探してもらってたんだからー」とドヤしつけちゃった。
どうやら、遊びに夢中になって、日課の「帰ったよコール」をスッカリ失念していた模様。
また、鍵が出てこなかったことがほとんどで、誰かがそれを拾って家に勝手に入ってきたらどうしようーという不安もありました。幸い、それは取り越し苦労で済みました。
持ち物の揉め事
息子の小学校低学年当時は「カード集め」が流行っていました。
「ポケモンカード」とか「遊戯王カード」とか。
なかには、プレミアカードなるものもあるらしく、それを友達どおしで盗ったの盗られただの。しばしば騒ぎになっていました。
息子には、揉め事の元になるようなものは持って歩かないように。と伝えました。実際にそうしていたのかは不明です…。
お小遣い
小学校に入ると、少額ではありますが、お小遣いをあげるようになります。
あるとき、お友達のお母さんから「お宅のお子さんが、うちの子の分のお菓子も買ってくれたようで…次回からはやめてくださいね」とお小言をいただいてしまったことがあります。
息子に、「そういうことするのはよくないよ」と伝えたものの、自分ひとりでお金を使うようになること。難しいものです。
病気になったら
一方、発熱やらおたふくかぜやらインフルエンザやら。病気で学校を休んだら。
保育園時代のように、ベビーシッターさんを頼む状況ではなく、その際は、夫と交替で仕事を休みました。
幸いうちの子は、ほとんど病気知らず。めったにそういうことが無く済み、親孝行な息子です。
最後にひとこと
大阪と川崎。いろいろあった学童時代でしたが、川崎でいちばん仲の良かったお友達とは、よっぽどウマが合うのか、20年以上経った今でもしょっちゅう会っているようです。
子どもを預かってもらうこと。節目節目にハードルが出てくる。
預けておきさえすればよい保育園と比べて、小学校入学のときは、いちばん大変でした。
でも、なんとかなるものです。
親もあまり不安に陥らないように。
そして、自分たちだけで頑張るのではなく、ご近所や親同士の交流により、力を貸してもらって。
それまでは、実はあまりコミュニケーション上手ではなかった私の「社交性」は、こうしたことをもとに醸成された…といっても過言ではありません。
当事、息子の利用していた学童保育は3年生まで。
4年生以降のことについては、また別記事で書きます。
この次、小学校高学年のことについては、よろしければこちらの記事をどうぞ。