2019年9月。ラグビーワールドカップが日本で開催されています。
日本チームの活躍は目覚ましく、見るたびに勇気をもらえる。
私の息子は高校生の時にラグビー部に所属していました。
ラグビーを見るにつけ、息子の部活での苦しさや楽しさを、親として一喜一憂していたことが思い出されます。
あらためて、その思いを書くことにしました。
サッカー部で挫折して、ラグビー部に転向
息子は小学生の時、野球をやっていました。
地域のチームでは投手で四番バッター。なかなかに活躍していたものです。
しかし、残念ながら肘を壊してしまい、中学校に進学した後、肘を使わなくて済むサッカー部に入部。
ところが、サッカーを幼少時からやっていなかった息子にとってそのハードルは高かったようで、一生懸命取り組んでいたものの、全くレギュラーになることができず、挫折してしまいました。
中高一貫校だったので、高校一年生になってもなんとかサッカー部を続けていましたが、ある時言います。
「ラグビー部は部員が少なくて、誰でもレギュラーになれるチャンスがある。チャレンジしてみたいんだ」
親の私の考えは"何事も初志貫徹、途中で辞めるべからず"でしたが、息子の言うことも分かります。
サッカー部の監督や保護者たちからは「辞めるの??」と散々批難されましたが、息子の気持ちを尊重することにしました。
ラグビー部に転向して
高校1年生の終わりに転部した息子。ラグビーなんて初めての経験だし、練習もかなりキツイ。満身創痍です。
でも、なんだか楽しそう。
朝練も早くからあって、夜練も遅くまであって、帰ってきたらバタンキュー。いったいいつ勉強しているのだ?と気にはなりますが、とにかく毎日泥だらけで懸命なその姿に、見守るしかないかな…と思ったものです。
試合にはなるべく見に行くようにしていたものの、何回見てもサッパリそのルールも分かりません。
チームもリーグ内でかなり弱小だったようなので、残念ながら公式戦でも上に進むことはできず。
とはいえ、何しろ15人で行う競技。常に試合に出られる…という息子の希望は叶えられたようです。
最後の試合
そして、時は流れ。
3年生の最後の合宿で、不運にも靭帯断裂してしまった我が息子。
松葉杖をついてなんとか通学できる状態でした。
私は仕事をしているので、そんな息子の送り迎えをすることもできず…。でもなんとか気合いで治して最後のリーグ戦に臨みます。
大学受験も差し迫っていたので、予備校と部活を両立する日々。
チームみんなで「花園(高校ラグビー大会の最高峰)を目指そう!」を合言葉に1試合1試合をこなしていました。
しかし、最後の時はやってきます。
リーグ戦敗退間際でノーサイドのホイッスルを聞いたとき。
号泣する息子たちの姿を見て、親の私も涙が止まりませんでした。
その後、卒業間際で東日本大震災が起こります。
監督に「ラグビーとは、とにかく前に前に進むスポーツだから、みんなで頑張ろう」とエールをもらい、心に刺さったことを思い出します。
今日の一言
ラグビーの試合を見るたびに。息子の当時の姿が蘇る。
苦しかったけれど、楽しかったであろう彼の高校生活。
今では社会人となりその頃のことは薄れているかもしれませんが、ラグビーをやっていたから今の息子がある。
ワールドカップの試合を見ながら、感謝の思いを募らせています。