働きながら子どもを育てる 保育園から小学校卒業まで 私が利用していたこと、工夫していたこと

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働きながら子どもを育てる。
そのためには、保育園や学童保育などにサポートしてもらうことになります。
その支援があったからこそ、仕事を続けてこられました。

私がその時期を過ごしていたのは、1994年から2005年の頃…とかなり前ではありますが、どのように利用し、また工夫していたかについてを、まとめてみました。

小学校を基軸にして居住地を決める

まず最初におこなっておくとよいこと。

これは「可能であれば」という前提とはなりますが、子どもを預けて働くのに、いちばんの困難は小学校に入ったときです。

保育園は預けてさえおけば、必要なケアはすべて保育士さんたちがやってくれて、親は送り迎えをすればよい。

しかし。

小学校に入ったら、イキナリ1人で登下校しなければならなくなる。

放課後は学童保育施設で預かってはくれますが、息子の学校のそれは、17時クローズだったため、その時間に迎えにいけない場合は、本人が1人で帰らねばならない。

小学校1年生といえど、まだまだ幼い子ども。
1人で帰ってくるのに、より安全な道程であると親も安心ができます。

ですので、そこを基軸にして住まいを探すと良い。

我が家はたまたま、その時期に転居をするタイミングだったこともあり、小学校まで徒歩30秒、しかも公道を歩かずに済む・・という住まいが見つかりました。

団地だったので、ご近所の方々や周囲の目が行き届いているエリア。
これは本当に大きな安心でした。

保育園さがし

さて。

子どもが生まれて初めての預け先となるのが、保育園。市町村の保育を担当する課に出向き、必要な申請を行う。

場所は自宅近辺がやはり便利。

そこで知り合った"保護者同士の和"が、とても助けになるからです。

昨今は「待機児童問題」が深刻で、保育園探しも難儀のことが多いようですが、私の時代はいくつか候補先があり、見学に行って「子どもに合いそうだなー。」というところを選ぶことができました。

保護者同志で助け合う

息子がお世話になっていた保育園は、保護者同士がよく交流をしていて、お互いの家に遊びに行って夜ご飯を一緒に食べたり、休みの日に出かけたりしたものです。

いざというときは、代わりに迎えに行ったり、一時的に預かってもらったりし合える。
両親や親戚が近くに居なかった私にとって、これは本当にありがたかった。

最初は、たまたまお迎えの時間が重なり、話しかけるところから始まりましたが、お母さんもお父さんも、みんな不思議とウマが合って。

小学生になってからも交流は続き、
物理的にだけでなく、精神的にも、たくさん助けてもらいました。

20年以上経った今でも、時々連絡を取ったりしています。

ベビーシッターサービスも確保しておく

一方、保育園は悪天候で警報が出たときや、子どもが発熱・発病したときは預かってもらえません。

そういうときのために、民間のベビーシッターサービスにも登録。
ベビー用品などを取り扱うメーカーさんが運営していて、安心感がもてると思い、そちらを選びました。

実際に何度かベビーシッターさんをお願いしたこともあり、料金はかかりますが、仕事を休めないときは、すぐに来てもらえるのがありがたい。

私が利用していた会社は残念ながら、現在はそのサービスを終了されていますが、シッターさんは比較的年配の女性の方々が多く、安心してお任せすることができました。

ファミリーサポートセンター

加えて、地域の自治体で支援してくれる「ファミリーサポートセンター」というサービスもあります。
一般労働法人女性労働協会が主体となって、各自治体と連携している事業。

ベビーシッターよりリーズナブルで、料金も概ね時間単価1,000円未満(それぞれのサポーターさんによって幅があります)‥というのもありがたい。
私は実際には利用する機会がありませんでしたが、ファミリーサポーターさんに何かあったら助けてもらえる準備はしていました。

近所で育児経験の豊富な方々に、より幅広くサポートしてもらえる。これは心強いです。

小学校低学年のうちは、学童保育を利用

小学校に入ると、学校に併設されている学童保育を利用しますが、息子が行っていた学童保育は3年生まで。

しかも、先に書いたとおり、17時を過ぎると1人で帰ってこなければならないので、私が帰宅する18時過ぎまでは、家で留守番。

いわゆる「かぎっ子」です。

最初はとても怖がって、近所のお家で過ごさせてもらったり、会社を早退したり、なかなか大変。

2ヶ月くらい経つとようやく慣れてきて、学童の友達と途中まで一緒に帰ったり、近所の公園で遊んでいたりするようになりました。

とにかく、帰宅したら私の携帯に電話をかけるように約束をしておいて、毎日「帰ったコール」を確認しては、ほっとしたものです。

小学校4年生になって、塾に通う

その後、小4になろうとしていたときに、たまたま子どもの同級生が近所の塾に通い始める・・・というのを聞いて、うちの子も同じ塾に通うことにしました。

週2日ほどでしたが、その際は19時過ぎに塾に迎えにゆけばよいので、多少の残業もできるようになった。

また、夏休みや冬休みなどもまとまった講習があったので、なにかあったら、塾の先生と連絡を取ればよい、という状況もありがたい。

いわゆる「学童代わり」のように、塾にお世話になっていましたが、せっかく通ったのならば・・・と中学受験をし、中高一貫校に進学をするに至りました。

その学校は、我が家から電車と徒歩で1時間近くかかる場所にあって、異なる地域の様々な生徒さんが通っていました。
地元の中学校では交流できないようなお友達ともご縁をいただき。

また、その分子どもの帰宅も遅くなっていったので、さらに残業ができるようになったものです。

最後にひとこと

子どもが1歳を過ぎたときから、小6の13歳までの12年間。いろいろな方々に支えていただき、無事に過ごすことができました。

大変だったよねーーって、今息子と話をすると「そうだったっけ?」(ガクッ、笑)

でも、その時々、本人なりにイロイロがんばったんだろうなー。

心配しているときりがない。働くと決めたんだから。
保育園の園長先生に言われた一言をあらためて思い出しました。

「お母さんが『子どもに申し訳ない』とか思っちゃダメです。堂々とお仕事に行ってください。子どもは、そんなお母さんの姿を見るのが嬉しいのです」

くじけそうになることも何度もあった。そんなときは、いつもこの言葉が励みになりました。

子育ての旅はとても長い。

中学生になったからって、もちろん終わりではありませんが、小学校卒業のときがひとつの大きな節目でした。

そんな私の経験が、なにかのご参考になれば幸いです。

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この記事を書いた人

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いくみ@女性管理職&ブロガー(ねーさん)

ビジネス書著者、講師(女性管理職の専門家)、ブロガー、ワーキングマザー30年。

40歳で正社員復活し、現在は元上場企業で20年管理職。「人生100年、仕事やライフワークや色んなことにチャレンジしつつ、めいっぱい楽しもう!」というビジョンのもとブログを始めとして、SNS、メルマガで情報発信中。山手線 全駅の記事も人気。2023年4月初出版『女性管理職が悩んだ時に読む本』好評発売中。

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