こんにちは。女性管理職19年の いくみ(@nesan_blogger)です。
この記事を書いているのが山の日の3連休、最終日間近。
会社仕事をしていて連休って、ホント嬉しい!のですが、こういう最後の日ってなかなか切ないのですよね。
ふと、かつての部下さんのことを思い出しました。
彼女、連休明けになると休んでしまうことが多かったのです。もうすでに退職してしまっているのですが、あらためてその心理について、そして、当事者としてできなかったこと。
解説します。
モードの切り替えに時間がかかるタイプ
休暇を過ごしてリフレッシュして。
「楽しかった休みが終わってしまう」切なさは染み入るものの、また仕事がんばろーーって思えると良いのですが、逆の思考に陥ってしまうこともあるんですよね。
休暇で心身共にリラックスモードになっていたのが、また、日常モードがデフォルトになってしまうことへの、緊張感と恐怖…とでもいいましょうか。
その部下さんが連休明け初日を休んで(場合によっては次の日も休んで)その後出社してきて話をしていたときに、そんなことを感じました。
もしかしたら、モードの切り替えへの心の準備や、それに要する時間がかかるタイプなのかもしれません。
なのですが。
やはり決められた日時に公人としての責務を果たすべきは、会社員だけでなく起業家だとしても同じ。
オフの時はやがて終わり、その次からはオンの時が始まるから「その狭間、つなぎの時間帯」みたいなものは無いのですよね。
部下さんの本音に切り込めなかった
当時の私は、そのことを重視していて、部下さんの本音に切り込むことはできませんでした。
なんとなく、この部下さん甘いなぁ…的に批判めいたスタンスを取ってしまっていたかもしれません。
加えて、彼女は、部署の経理的な業務を賄ってくれていたのですが、何かの折にちょいちょい口をついて出る言葉があって
それは
「アドミ(事務処理)業務って、きっと軽く見られてるんですよね、そりゃ営業とか企画の方が花形的なのってあるんでしょうが、アドミあってこそなんだから」
その度に「仕事に重いも軽いもないから。メンバーみんながそれぞれに担っている任務は等しく尊いんだから。あなたの仕事も当然です。」と私のような部門ヘッドではなく、さらに上位職の重責者が言葉をかけることで、安心できていたようです。
まぁ、褒めて育つ、というタイプもいますから。
彼女の色々な想いについて、今となっては客観的に感じ取れることもありますが、繰り返しになりますが、上司の当事者として、なかなかそこまで心広く接することができずじまいでした。
言い訳ですみませんが、様々なタイプの部下さんがいて、全員に等しくエコ贔屓せずに接したい、という想いもあったのです。
あの時、どうすればよかったのだろう?今でも結論は見出せない
やがて、幾つかの事象が重なり、彼女が退職となったのが今から6年くらい前。
もう随分経つのですが、こうして連休の最終日を迎えるたびに、なんとなく思い出します。
あの時、どうすればよかったのだろう?今でも結論は見出せないし、その消息も知ることが叶わないけれど。
どこか違うフィールドであったとしても、元気に活躍しているであろうことを願って止みません。