会社勤務をして38年、女性管理職となって18年経ちます。
新卒で就職したのは昭和59(1984)年、当時は「男女雇用機会均等法」施行前。
三流4大卒の私にとっては、就職活動もなかなかに苦戦。やっと雇用してもらえたのが、中小企業の一般事務職でした。
そこから始まってキャリアを積んできて。
2回転職をして合計3社で就業をしましたが、結婚や子育てをしつつずっと働いてきて38年間。現在は、一部上場企業で部長職をしています。
昭和から平成、令和へと時代も変わり、経済状況も変わり、「男女差」に関しての世の中の意識も変わり。
女性管理職18年の私のキャリアプランを、4つの理由とともにお伝えしたい。
会社員のメリット、新卒から始まって現在に至るまで、苦労したこと、50代になってからの新たな目標について。
それぞれ解説していきます。
会社員を続けてきたメリット 4つの理由
「会社員」というと、何かと不自由で苦痛な身分…ということが巷間言われたりしますが、私にとっては全然違います。
なぜ、私は子育てしつつ38年間の会社員を続けてこられたのか?理由は4つあります。
- 「好き」×「長くやること」で、専門家になれる
会社員として仕事をしていると、好きな分野に出会うことができる。そして、長く携わることで、その分野においての「専門家」となれるのです。私の場合は「人材ビジネス」がその分野でした。 - 勤務時間に従事していれば安定収入が確保でき、それ以外の時間は自由に使える
会社の所定勤務時間というのは、7〜8時間/日。
一日24時間のうち起きている時間が17時間として、あと10時間は自由にその時間を使えるのです。
残業するとかしないとかも、それなりに経験を積んでいけば自分でコントロールができる。
しかも、安定収入が確保できて、ありがたいことしきりです。 - 実績を達成すれば管理職の道が拓ける。すると、経済活動の一旦を担い、人を育てている実感ができる
目標を持って実績を達成していけば、私のように管理職としての道が開けるものです。
すると、「経済活動の一旦を担い、なおかつ、人を育てている」ということを、より身近に捉える事ができます。
もちろん、会社勤めをしていなくても得られるのだと思いますが、私にとっては会社勤めをしていたからこそ、それが実感できています。 - 女性管理職ならではの、視点を発揮する事ができる
世の中というのは、男性と女性、それぞれの特性があって成り立っているといえます。
家庭生活だけでなく、企業においても。
女性管理職ならではの視点があって、それを発揮する事ができる。社内外問わず、そんなふうに認めてもらえるようになりました。
これらをメリットと感じてきたからこそ、続けることができたのです。
具体的に、この37年間の私のキャリアプランをお伝えします。
新卒で就職したのは1984年、男女雇用機会均等法施行前
現在では当たり前のように捉えられている「男女雇用機会均等」
法律が制定されたのは1985年、施行されたのは1986年です。
私が就職したのが1984年なので、施行の2年前。「男女差がある」ことがむしろ当たり前の時代でした。
実際にその給与差も歴然。職種も「男性は総合職、女性は一般事務職」みたいな風潮です。
とはいえ、当たり前だったから、そんなに気にも留めなかった。
それよりも、就職先が出身大学によって大きく分かれてしまうことについて、違和感がありました。
就職説明会のときによく目にした光景が、「東京六大学の学生さん」「その他大学の学生さん」と、説明会場自体が分別されている。
学歴ってそんなに大事なんだろうか?疑問を持ちながら説明を受けたものです。
就活に苦戦、ようやく中小企業に採用される
男女差やら学歴主義やら…色々な障壁があって就職活動はなかなか苦戦。
あるメーカー(現在はもう無くなってしまった会社ですが、当時は花形企業でした)の系列会社に役員面接まで進んだものの、最後は不合格。
その後、やっと内定をもらったのが、中小の商社でした。
ちなみに、この会社も残念ながら現存していません。他の会社に買収されてしまいました。
採用してもらったんだから、やってみよう。そんな程度の期待感で入社したのだけれど、この第一歩がその後の私のキャリア形成の礎となったのです。
1社目:新卒時に入った会社は小規模だったが「性別学歴」問わず、期待してもらえる環境だった
当時は大企業と中小企業の格差がかなり顕著で、その経済活動になかなか苦戦していた。
入社した企業では、新卒に対しての期待が性別学歴問わず、かなり高かったのです。
最初は「一般事務」でスタートした私の仕事でしたが、2年後には「統括部付秘書」つまり、営業統括部長のアシスタント兼業績管理を一手に引き受けることとなりました。
部長とともに取引先との対応や、数字周り、イベントの主催など、色々なことを任せてもらえてやりがいも持てた。
加えて、その会社にはすでに1980年代当時、女性課長が何人か在籍していて、私もその一歩手前の「主任」に任命されました。
なおさら精力的に活動ができつつあり、とても充実していた。
おそらくそのままいったら、この会社で課長になり部長になり…みたいなキャリアプランも描けていたかもしれない。
ところが、入社7年目、29歳のときに結婚して広島市に転居することとなり、やむなく退職に至ったのです。
2社目:転居して出産して再就職。バイトでしか採用されなかったけれど、とにかく会社員に戻ると決めた
その後、広島市で転職活動をしようと思っていたものの、程なく子宝に恵まれたため、しばらくは中断することとなりました。
そして、子どもが一歳近くになり活動再開。 当時、平成4(1992)年。
「母親が子どもを預けて働く」というのはまだまだ少なかった。 教員や医療職などでは、そうした方々もポツポツいましたが、会社員でフルタイムで…という母親はほとんど居ませんでした。
でも、学生のときに志した「大多数の大人が生きているであろう『会社勤め』という世界」にとにかく戻りたかった。
志したからには、ずっと続けるのが私の信条。
いろいろな求人はありましたが、「子どもがいて残業ができないから」という事情でことごとく断られ。
結果、まずは「決められた時間で勤務できる」アルバイト(契約社員)に就くことにしました。
保育園に預けた当初は毎日号泣しっぱなしの我が息子。
でも、決めたからにはやる。 バイトでもなんでも。とにかく再就職できたことがとても嬉しかった。
そして、そこで飛び込んだ「人材ビジネス」が、生涯の私のキャリアビジョンとなり、現在の、一部上場企業の部長職へと導いてくれるとは、もちろん当時は全く知る由もありません。
正社員となって、さらにマネジメントボジションを目指したいと思うに至る
この「人材ビジネス」はとっても私にフィットしていて、やりがいも持てました。
夫の転勤に伴い、広島→大阪→東京と移り住んでも、ありがたいことに続けさせてもらえた。
しかし、5年ほど経って実績も挙げていくうちに、新たな目標が芽生えたのです。
この業界でさらに、マネジメントポジションを目指したい。
我が国の就業形態においては、バイトとか契約社員とかではなかなかそれを目指す事ができません。
正社員になって、それを果たそう。決意したのが40歳の時でした。
子育て中&40歳女性の正社員転職への道は、容易ではなかった
とはいえ。
子育て中&40歳女性の正社員転職は容易ではなく、来る日も来る日も転職エージェントさん数社に通い詰める毎日。求人はあれど、年齢面で応募することすらできないことも多々あり。
そうして何度もトライアル&エラーを繰り返していくうちに、エージェントさんの1人が、私の個性を引き出してくれ、ある求人を紹介してくれました。
当時は、クライアントさんとしてお付き合いしていた会社。業界のフロンティア的存在で憧れていました。
この会社で働きたいなーと思っていたところ、運良く応募することができ、採用してもらったのが現在の勤務先。
物事とは、願えば叶うことがあるものです。
「好きなこと」×「長くやってきたこと」=専門性 を実現できる第一歩となりました。
3社目:子育て中&40歳女性で採用してもらった会社 無我夢中で働いたら管理職になった
この会社は、入社当時は上場企業ではありませんでしたが、その後数年して東証一部上場となりました。
加えて、某誌の直近の記事において「女性管理職登用割合」が高い企業のうちの一社、と評してもらっています。
自分の意気込みと努力だけでは、なかなか目標としているポジションに到達する事が難しい。
環境にも恵まれました。
もちろん「好きなこと」×「長くやってきたこと」だからこそ、無我夢中で働きました。
すると、自部門の業績もどんどん向上して、一般職から管理職へ。そして入社8年後に、現在の部長職に就任となったのです。
部門責任者に就任したけれど「数字責任と人を預かっている責任」に苦戦
部門を統括する立場となったら、今度は新たな課題が発生します。
それは、数字責任と、部下さんたちを預かっている責任。最初は苦戦の連続でした。
私がおこなうべきことといったら、いかに部下さんたちに任せて伸び伸びとその個性を発揮してもらえるか。
問題が起きたらすぐさまサポートして調整する。そして売上をどんどん上げていく。
これに尽きます。
少々おこがましいですが、
「経済活動を支えつつ、人を育てている」という実感ができるのが、管理職としての醍醐味でもあリます。
もちろん楽しいことばかりではありません。
急な組織改編で部署が閉鎖となり、あらたな部署で担当することになったのは、180度違う業務。
このときばかりは、もう限界かも‥と落ち込んだものですが、とにかく「会社全体で目指しているビジョン」に長年共感していたので、時が経つと新しいことも不思議と馴染んでくるのです。
女性ならではの視点をヘッドが認めてくれる、企業文化にも恵まれた
一方、我が勤務先にも男女それぞれの管理職が存在しているのですが、ありがたいことに、なんでも発言できるし、ヘッドは男性ですが、しょっちゅう論破しています(笑)
これはおそらく、男性では気づけないことを頼りにしてくれているのだと思っています。
なかなか主張できない環境もあるのかもしれませんが、私は幸いに、企業文化にもヘッドにも恵まれました。
50代後半になっての新たな目標:会社勤務と好きなことをする時間の、パラレルワーク
そして、この記事を書いている現在、私は50代後半を迎えている。
働き方改革が伸展しつつある昨今。
自社においても、できる限り定時勤務で終える…という点に様々な施策を打っています。
とはいえ、プロジェクトの状況などにより、それがままならないこともあるけれど。
上司の私としては、率先して早く帰宅するように心がけます。
すると。
自由な時間というのは、なんとたくさんあるのだろう…とあらためて気づきました。
会社で7〜8時間勤務していれば、安定収入が得られる。
好きな仕事をやっている私にとっては、それは苦痛でもなんでもなく、やりがい。
しかも、それ以外の時間や土日祝は全て自分のために使える。
私にとって「ブログで情報発信する」のがライフワークでもあり、この自由時間で全力投球ができるのです。
これに気づいたのは、定年間近になって色々悩んでいたとき。
様々な学びと出会いを経て、新たな目標を持つに至りました。
「ブログで経済活動」という点には至っていませんが、気持ち的には「パラレルワーク」だと思っています。
最後にひとこと
あらためて振り返ってみると、私、がんばってきたなー(笑)
今後は、この経験を世の中の少しでも役に立ててもらえたら…と、新たな夢を抱きつつ、これからもブログで発信し続けていきます。
長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。
女性管理職としての悩み、仕事の人間関係、工夫してきたこと、子育てとの両立など、様々なことを書いています。ぜひお読みください。
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