四十にして惑わず…否、四十にしてリスタートした私の就労ヒストリー

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「四十にして惑わず」 よく耳にするフレーズです。
孔子が説いたこと。

孔子が晩年に振り返って言ったことば。 『論語・為政』に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず(私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった)」とあるのに基づく。 ー「故事ことわざ辞典」より引用

そういうこと、確かにあるのだろうけど。

私は、四十にして今の勤務先に転職しまして、そのときは「惑わず」どころか、「リスタート」のときだったのです。

会社員30数年の就労ヒストリー。振り返ってみると、
一見偶然の連続に見える出来事も、実はみんな繋がっているのかもしれない…そんなふうにあらためて気づきました。

今回はそのことについて書きます。

新卒入社

最初のスタートは、大学を卒業して新卒で採用された会社。

主に事務機器を取り扱う、販売商社でした。

1984年当時。
女性は短大卒がメインで寿退社が当たり前。方や、大卒女子は年取っている分(笑)就職口も少なく、就活で四苦八苦しながらやっと拾ってもらいました。

小規模だったこともあってか、入社後は様々な仕事を任せてもらい"事務処理のイロハ"は、ココで身に着けることができた。

22歳から29歳まで勤めていたのだけれど、結婚して広島市に転居することとなり、その会社は都内一拠点しかなかったため、退職をしました。

子育てしながらの転職

独身時代の約30年余りは、神奈川県にある実家で暮らしていましたので、他のエリアで居住するのは初めて。

戸惑いもありましたが、その後ほどなく息子が産まれたため、しばらく仕事から離れていました。
なにせ、働くのが大好きな私。 息子が一歳になったころから、広島市内での転職活動を始めました。

しかし、なかなか雇ってもらえるポジションがなく…。ある、人材ビジネス系会社のアルバイトに採用してもらった。
その頃は、働くお母さんがさほど多くない時代でしたので、保育所にもスンナリ入ることができました。

ただ、残業もできないし、子供が発熱したら迎えにいかないとならないし。正社員になるのは厳しい。
でも、アルバイトでもなんでもいいから、とにかく働く人生を再開できたことが嬉しかった。

この「人材ビジネス」での第一歩が、私のその後の仕事の"礎"になるとは、当時は思いもしませんでした。

広島→大阪

バイトとはいえ、いろいろな仕事に携わることができ、朗らかな仲間たちにも恵まれて、とても充実していました。

ところが、夫が転勤族のため、数年したら大阪へ異動することに。
幸い、このアルバイト先では、各所に支店があり、私も大阪市内の支店に転勤することができました。

関東出身の私にとっては、中四国はさほど抵抗感はなかったけれど、なぜか関西には少々ニガテ意識がありました。
でも。 そんなの、ただの思い過ごしで、実際に住んでみたら大阪が大好きになった。

大阪で暮らしていたことが、今の仕事や友人とのご縁にも寄与してくれるとは…やはり、当時は思いもしませんでした。

そして、東京に戻る

息子が小学校二年生のとき。 夫が転職をするに至り、10年振りに東京に戻ることとなりました。

アルバイト先で、またしても東京の支店に転勤をさせてもらい、仕事を続けることができた。
ただ、今までまったくおこなったことのない「ヘルスケア」分野の業務。

実際に携わってみると、今まで以上にやりがいがある。

この「分野」が、やはり、今の私の仕事の出発点になったのでした。

四十にして、リスタート

アルバイトで6年間。しかも各所で勤務させていただいた、とってもありがたい状況でしたが、アルバイトはあくまでもアルバイト。

もっと安定も目指したいし、マネジメントにも携わりたい…と思い、再び転職を決意しました。
当時の私は四十歳。息子は小学校低学年でまだまだ手がかかる。 なかなか仕事が見つかりません。

人材紹介会社にサポートしてもらいつつ、「うーーん、なかなか厳しいですねー」と言われつつ、試行錯誤していたところ、ある会社の求人に応募することができた。

キーワードは「人材系」×「ヘルスケア分野」 それが、現在の勤務先で募集していたポジションでした。

その両方とも経験があったことより運よく採用してもらい、久し振りに正社員に戻ることができたときは、本当に嬉しかったなー。

それから16年

だから、ガムシャラに働いた。
息子は学童&かぎっ子。ごめんねー。と思いつつも、一生懸命働きました。

そうしたら、あれよあれよという間に管理職にしてもらって。 東京と大阪、二拠点のマネジメントもすることになって。
2002年入社なので2018年の今で満16年。イロイロあったけど、とにかく楽しかった。

なんだけど。

2016年当時、家族の問題やら、いきなりの組織再編やら…"事件"が立て続けに起こり。
もう六十近いのに、さらにリスタートを繰り返すに至りました。

でも。 四十じゃなくても、五十でも六十でも、何回でもリスタートしていいのだー。
なぜならば、 人生100年。まだ折り返し地点を過ぎたばかりなのだから。

今日の一言

「不惑」というフレーズをふっと思い浮かべてみたら、思わず"長い物語"を書くに至りましたが、

一見偶然の連続に見える出来事も、実はみんな繋がっているのかもしれない…そんなふうにあらためて気づきました。

ありきたりだけれど「継続は、力なり」
会社勤めは年齢に限りがあるのだけれど。会社勤めであってもそうでなくても、 私の就労人生、まだまだつづく。

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この記事を書いた人

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いくみ@女性管理職&ブロガー(ねーさん)

ビジネス書著者、講師(女性管理職の専門家)、ブロガー、ワーキングマザー30年。

40歳で正社員復活し、現在は元上場企業で20年管理職。「人生100年、仕事やライフワークや色んなことにチャレンジしつつ、めいっぱい楽しもう!」というビジョンのもとブログを始めとして、SNS、メルマガで情報発信中。山手線 全駅の記事も人気。2023年4月初出版『女性管理職が悩んだ時に読む本』好評発売中。

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