こんにちは。女性管理職19年の いくみ(@nesan_blogger)です。
X(旧Twitter)のフォロワーさんとやり取りをしていて、気付かせてもらったことがあります。
様々なマネジメントに携わってこられていて、ちょっとしたビジネスのヒントをいつもポストしてくれている方。
とある時にもらったヒントが
【上司は「好かれなくても良いから、信頼はされなければならない」存在】
解説します。
野村克也さんの名言
そのポストとは、プロ野球監督・故野村克也さんの名言を紹介しているものでした。
【好かれなくても良いから、信頼はされなければならない。嫌われていることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない】
実は私、かなりのプロ野球好きなのですが「野村克也さん、名前は知っているけれど詳しくはわからないなぁ」という読者さんもいらっしゃるかと思いますので、よろしければWikipediaをご参考に。
本題に戻ります。
この名言、とーーっても刺さりました。
自分はどうだろう?ということを振り返ってみるに、おそらく部下さんたちからはそんなに好かれていないことでしょう。
というより、まさに野村監督の言の通り「好かれる」ことではなく「信頼される」ことを懸命にやってきたのです。
好かれると信頼される、大きく違う
好かれると信頼される、言葉のニュアンス的にはそんなに違わないようにも感じますが、こと「リーダーシップについて」という点からすると、少なくとも私の中では大きく異なります。
「好かれたい」ということを軸にしてしまうと、つい、忖度しようとしたり、本筋ではないところでお愛想してしまったり、「あらら、そんな大変なことやらなくても私やるから」的に部下さんたちにやってもらうべきことを勝手に巻き取ってしまったり…。でも、おそらく嫌われはしない。
一方で
「信頼されたい」というのは、例えていうならば、船長みたいなもので、「私がガッツリ舵を取るから、荒波もなんのその守るから、みんな安心して付いてきてね。でも1人ずつの力もどうぞ貸してください。そうでないとこの船が大切な港に着けないから」…といった感覚。
上手く言い表せていないかもしれず、すみません。
もちろん、あえて嫌われようとしているわけではありませんが、仕事って仲良しクラブじゃないのだから、時には厳しく部下さんと接していくことも大切です。
部下さんから疎まれたとしても、信頼されていることが必須
結果、部下さんたちから距離を置かれたり疎まれたりしても、ある意味当然ですし、何となく孤独感に苛まれることだってある。
でもね。
繰り返しになりますが、好かれようとする必要もなくて、でも、信頼される上司であるというのは必須。
【好かれなくても良い。信頼はされなければならない】
野村監督が率いてきた球団の幾度とない勝利や日本一の功績に思いを馳せるにつけ、特にこの、「されなければならない」という言葉の重みをあらためて心しました。
最後にひとこと
好かれる・嫌われるという二択ではなくて、信頼される・不信に思われるの二択。
ある意味、潔くリーダーシップを執る、ということが大切なのですよね。