こんにちは。女性管理職18年の いくみ(@nesan_blogger)です。
仕事を懸命にやって成果を追い求めようしても、
最近の私はまさにそのループにハマってしまっていて、
そんなときに、とあるセミナーで教えてもらったことが刺さった。
それは「やるだけやったのならば、あとは、
ご紹介します。
結果を受け入れる、とは?
そのセミナーは、実際には仕事とは直接関連性のない、
講師の方々が、今、活き活きと過ごされている様子に感銘。
私が悩んでいることを質問したときに返ってきた言葉は
「いくみさんが、やるだけやったのならば、
「ありとあらゆる方法を試してみて、
ハッと気付かされました。
必死にやっているのだから、
頑張っているのだから、他人に助けてもらわずともやり遂げる。
これ、全て自分の勝手な思い込みなのですよね。
やるだけやったのだろうか?を自問自答
では、私は「やるだけやったのだろうか?」自問自答してみると。
- 懸命に尽くしているのだろうか?→まだまだ足りない
- 私1人で頑張ろうとして意味あるの?→全然意味ない
”やったつもり”になっていても、余地があることに気付かされます。
困難にぶち当たった時こそ、できる限りの自力や助けてもらえる他力で、精を尽くす。
仮に上手くいかなかったとしても。
やり切ったと自分が思えるのならば、それはそれで全然オッケーなのです。
閾値を上げる
一方、やり切りの境目って、自分でなかなか判断することが難しいもの。
- ココまででいいだろう
- いやいや、もう少し頑張りポイントあるだろう
惑うことも多くって、ある意味、際限なかったりもするから。
上司から言われたとある言葉が刺さりました。
「閾値を上げましょう」
閾値(いきち、または、しきいち)とは、生理学や心理学的側面やら、物理学や工学的側面やら、少々小難しいフレーズに思えますが、簡単にいうと
境目となる値のこと
境目を低くすれば楽だし高くすれば苦しいし、そこの塩梅難しいですが、
「ココまでで良い」と決めつけないことが大切なのですよね。
最後にひとこと
チャレンジし続けることって、なかなかにしんどいことも多いですし、特に年齢を重ねれば重ねるほど、つい、もういっか。と妥協してしまいがちです。
でもね。
懸命さが無くなってしまうようなら、そこで終わり。
だから「やるだけやる」こと、忘れないようにしたいものです。
そして、お借りした他力は必ずお返しすることも忘れないように。
結果を受け入れるとは、ココまでやって初めて思えることなのかもしれません。