こんにちは。女性管理職19年の いくみ(@nesan_blogger)です。
若い世代の友人から相談を持ちかけられました。彼女が悩んでいることについて、私の経験談を教えてほしいとのリクエスト。
実際の様子を聴いてアドバイスして…がメインでしたが、逆に意見をもらえたことがあって「いくみさんて、昭和平成令和・3時代に渡ってのキャリア極めていますよね、それってかなり凄いことだと思います」
社会人ヒタスラ突っ走ってきて40年。なのですが「3時代で仕事中」って意外と気付いておらず、嬉しくなりました。
せっかくなので、この3時代のうち主に昭和時代を振り返ってみよう。よろしければお付き合いください。
昭和59年・新卒で社会人スタート 当時の状況
私が新卒で「中小企業の事務員」として社会人生活をスタートしたのが、昭和59(1984)年。
国内でパソコンが使い始められた頃で、社内にも数台しかなく、個々の社員が操作できるような状況ではありません。
通信手段はもっぱら電話やポケベル。ファックスもボチボチ普及し始めていましたが「機械に紙が吸い込まれた後、相手に伝達されるのは何故だろうか?」不思議でなりませんでした。
営業会議の資料作成の際は、コクヨの「集計用紙」という横長で罫線が引いてある、紙の冊子(文房具)を使って手書き。計算は電卓です。人によってはソロバン使っている人も!
電話も四六時中掛かってくるし、計算もしょっちゅうするから、電話と電卓はかなり得意になりました。今は忘れてしまいましたが、当時は「電卓のブラインドタッチ」ができていたものです、笑。
制服も着ていました。ねずみ色のジャケットとスカートに白いブラウスの、なんの変哲もないやつ。だから行き帰りの私服なんてチョーテキトー、オシャレするにも縁遠かったなぁ。
部内の社員旅行も年中行事、一泊二日で隣県の温泉地などへ繰り出します。
休みの日まで会社の人と一緒…うっとおしいなぁと思いがちですが、みんな浴衣姿で宴会したり、そんな時間も以降のコミュニケーションに役立ちました。
年始最初の営業日には、社外の会議場に一堂が会しての「仕事始めイベント」着物姿な女性社員も多くて、今となっては笑い話みたいなものです。
私の「管理職道」原点
当時は"女性は結婚したら仕事を辞めて家庭に入るのが当たり前"と言われていましたが、なんか違う…違和感がありました。
拙著にも書いていますが、そんなご時世なのにもかかわらず、身近に女性管理職の先輩が2人もいて、
それが私の「管理職道」原点となったことと、
小さな会社でしたので、割と自由な社風もあって、いろいろな経験をさせてもらったり、意見もしょっちゅう言い合っていた、という点も大きかったです。
結婚して広島県に転居することとなったため、この会社に7年間勤務して、1991(平成3)年に退職。
程なくして息子が生まれて1年ほど仕事から離れることとなりました。
アナログ全盛昭和の時代に大切だったこと
独身時代の「女性は結婚したら仕事を辞めて」の違和感と身近に女性管理職の先輩がいたことで、自分自身も管理職を目指そうという想いはずっと温めていました。
事務職しか経験なくて子供を抱えての再就職には多々ハードルがありましたが、アナログ全盛昭和の、機械に頼らず人力をもっはら磨くのが大切だったこと。
この点も、今の私にとってのもう一つの原点でもあったと、あらためて気付きました。
動画にもまとめました。よろしければご覧ください。
最後にひとこと
余談ですが、現代ではごく当たり前な「社員1人1台パソコン貸与」は、1998(平成10)年頃からでした。
私の社会人ヒストリーで最も長い時間となっているのは”平成の30年間”ですが、お伝えしてきた昭和の状況は最も印象に残るといっても過言ではありません。
そして、今、令和の5年間はコロナだったりAIの進化だったり、新たな大きい変化の時だとも感じています。