こんにちは。女性管理職19年の いくみ(@nesan_blogger)です。
仕事を共にしていて、とくに信頼関係にあると思っている相手は何人か存在してくれているもの。
ところが、自分の信頼は相手のそれとイコールではない。
部下さんとのコミュニケーションだったら、例え”片想い”だったとしても全然OKなのですが、仕事仲間とのコミュニケーションで、最近「信頼関係にあると思ったら実はそれほどでもなかった」ことを書きます。
思い込みに注意、です。
「この人は私のことを信頼してくれている」という幻想
この5年くらい色々とお世話になった仲間。仮にAさん、と呼びます。
仲間、というより、私が目指していることをすでに実現されている、ある意味先輩でもある。
最初は全然自分が追いつけていなくて、ひたすら尊敬と憧れの念で慕っていたのですが、いつも「いくみさん、応援ありがとう」と声を掛けてくれていました。
だからこそ、信頼していたのですが、自分がだんだん目標に近付くことができてきたときに、
「いくみさん、すごい!私もそうなれるように頑張りたい」
「いくみさんのことはいつも応援しています」
と言葉のトーンが変化してきて、さらに信頼を寄せるようになって、Aさんも同じ気持ちをもってくれているのだと思い込んでいました。
ところが。
ある出来事をきっかけに、「相手が自分のことを同じくらい信頼してくれている」というのは幻想に過ぎないのだと気付いたのです。
相手の信頼には”グループ分け”があった
もちろん、Aさんから信頼してもらっていることは事実ですし、ありがたい。
Aさんがあることを成し遂げて「お披露目イベント」とも言えるミーティングを開催、私もそこに呼ばれていました。
日頃からとても支援者の多い彼女ですが、当日は意外なほど参加者が少なくて、なおさら「信頼感を寄せてもらっている」を勝手に実感。
ところが。
後日、全く別のメンバーで、さらに大規模なミーティングが実施されていることを、たまたまそこに参加していた人から知らされたのです。
そっか。信頼感にはグループ分けがあって、私はもしかしたら「グループB」だったのかもしれません。
思い込みに注意
Aさんを責めるつもりでは決してなくて、自戒を込めてという点で、この出来事には色々と気づかせてもらいました。
それは
【思い込みに注意】という点です。
自分の信頼と相手の信頼は、ともするとイコールだと決めてしまいガチですが、当然それぞれの分量には重み軽みがあって、そこまで全く同じだと思い込まないこと。
冷静にそう捉えたら、
なぜ「グループA」には入っていないのだろう?ということを訝ることなく「グループB」だったとしてもそういうことか。
落胆せずに済みます。
最後にひとこと
その後になって。
私のこんな葛藤を察してくれたのかのように、Aさんから後日談が届きました。
「今回の大規模ミーティングは主にお世話になった先輩方に参加してもらいました。」
私は彼女にとって先輩ではないから、仕方ありません。
ただ、自分が相手と信頼関係を築くときには、なるべく”グループ分け”することなく、老若男女どんな人であっても、できるだけ等しく対していきたい。
そんなことも思い抱くに至ったのです。