山手線 秋葉原駅(東京都千代田区)歩いて遊ぶスポット 電気街とサブカルチャー ・神田川水運歴史の対比が楽しめる

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通勤で30年お世話になっている山手線。好き勝手にそれぞれの駅を漫遊しています。

今回は秋葉原(あきはばら)駅。

電気街とサブカルチャーで賑わっている様子が有名ですが、反対側は神田川水運の歴史を感じ取れる落ち着いた雰囲気で、対比が味わえるのも面白い。

ご紹介します。

秋葉原駅

所在地:東京都千代田区神田佐久間町一丁目17-6

この駅近辺は江戸時代より火事対策として設けられた"火除地"にされており、明治時代以降空き地となっていた箇所の払下げを受けて、貨物駅として1890年(明治23年)に開設。当初は「秋葉原貨物取扱所」と呼ばれていたそうです。

その後長らく貨物駅と旅客駅双方の役割を担っていたものの、1975年2月に貨物営業が廃止され、旅客専用駅へと変化を遂げました。

電気街改札を出た先が西側で、中央改札/昭和通り改札の先は東側。

駅構内や電気街口のそこここにアニメーションを使っての看板が多数。秋葉原らしさです。

電気街とサブカルチャー

電気街改札側の駅舎。2010年にオープンした「アトレ秋葉原」とともにモダンな雰囲気です。

駅舎の外に出ると目の前に「ガンダムカフェ

駅舎を出て左手には高層のオフィスタワー「秋葉原クロスフィールド」がそびえ立っていて、この辺りだけ、ビジネス街として切り取られているような雰囲気。

電気街へ向かう方向の駅舎の壁面には「ミリオンズライブ秋葉原」のパネル。キャラクターたちみんなの表情が楽しそうです。

カフェのチラシを配っているメイドさんの姿も

通り沿いの左右に、原色系の鮮やかな電気店のビルが立ち並んでいます。

電気街の一角にある、AKB劇場の入っているビル。

電気街とサブカルチャーの入り混じった、ワイワイとした町並みです。

神田川水運の歴史と柳森神社

一方、中央改札出た東側は、西側と一変して落ち着いた雰囲気。

明治時代の開設時の際、駅には神田川から掘割が引かれ、東北や信越から貨物の東京の水上交通への窓口となっていたとのこと。

駅前にある「秋葉原公園」はこの掘割の跡地。公園というよりは広場といった感じですが

公園角には、神田川から切れ込む水路にかかっていた「佐久間橋跡」が見られます。

神田川沿いに出たところには「和泉橋」
明治時代初期まで残っていた柳原土手跡ともなっています。

しばらく進んでいくと柳森神社。この界隈はとてもひっそりとして、電気街辺りの喧騒が嘘のよう。

御祭神は、倉稲魂大神(くらいなたまのおおかみ)他七柱。1457(長禄2)年、太田道灌による江戸城築城の際、城郭鬼門除けとして京都伏見稲荷大明神を勧請。神田川土堤一帯に柳の木を多数植樹したのが、創建と屋号の由緒。

「金比羅宮」など、境内社がいくつもあります。

食事処

今回は食事をする機会がありませんでしたが、駅周辺には多数のラーメン店が軒を並べていて、あちらこちらのお店で、お客さんが入店待ちをしていました。

次回はぜひ、立ち寄ってみたいです。

最後にひとこと

「秋葉原」の名称は、この地にあった「秋葉社(秋葉神社)」にちなんで"秋葉社の原"と呼ばれていたのが語源。その後同社は駅開設に伴い台東区に移転されました。

駅が出来上がったときに、そのルーツが他の地に遷座となったとは、なかなか趣深いものです。

秋葉原駅にお出掛けの際、この記事が参考になったら幸いです。

山手線一周、どの駅が何区にあるか?について。合わせてコチラの記事もお読みください。

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この記事を書いた人

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いくみ@女性管理職&ブロガー(ねーさん)

ビジネス書著者、講師(女性管理職の専門家)、ブロガー、ワーキングマザー30年。

40歳で正社員復活し、現在は元上場企業で20年管理職。「人生100年、仕事やライフワークや色んなことにチャレンジしつつ、めいっぱい楽しもう!」というビジョンのもとブログを始めとして、SNS、メルマガで情報発信中。山手線 全駅の記事も人気。2023年4月初出版『女性管理職が悩んだ時に読む本』好評発売中。

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