大政奉還から150年であった2017年。
明治維新の立役者のひとりでもある、勝海舟と徳川慶喜が「77歳の天寿を全うされた」というテーマに感銘を受けたのが、2017年11月放送の、NHK-BSプレミアムの番組でした。
そのなかで取り上げられていた、勝海舟が徳川慶喜に送った書、「楽天理」のことがさらに知りたくなり、書籍をさがしてみました。
書籍『勝海舟の明治』のご紹介
筆まめで、書を趣味としていた勝海舟の隠居生活。
まずは、明治時代と勝海舟について読んでみたいと思い、下記の本に出会うことができました。
新書ならではのコンパクトに、”勝海舟やその周囲の人々についての政治的なあらまし”が分かり易くまとめられています。
そのなかで、一ページ弱ではありますが「楽天理」のことが記載されている箇所に釘付けです。
「楽天理」
楽天理。
先日NHKの番組では、「自然にさからわずあるがままに」という意であると解説されていました。
本書では、もう少し詳しく記載されています。
勝海舟はある意味、徳川慶喜の”お目付け役”でもあった。
明治31(1898)年 3月2日に、大政奉還で朝敵となってしまってから、約30年ぶりに皇居に参内することができた徳川慶喜。この「禊ぎ」によって、徳川慶喜の監視役としての勝海舟の役目に終止符が打たれたようです。
翌日に勝邸を訪れた徳川慶喜が、持参した絹の布を差し出し、「楽天理」と揮毫してほしいと所望された。
徳川慶喜自身が「天理に背かぬよう生きてゆくための戒めの言葉」として胸に刻もうとしていたのですね。
徳川慶喜が抱きしめていたいと思った言葉。
おそらく、勝海舟に頼んで書いてもらった渾身の書が、それを後押ししてくれたのだと…そのときのお二人の気持ちに思いを馳せ、あらためて感銘しました。
勝海舟の書
実際に、勝海舟の書とはどんなものだったのだろう。
図書館に行って「幕末の書」に類する書籍をさらに調べてみました。
残念ながら、「楽天理」を記しているものは見つかりませんでしたが、別の作品が載っていた。
幕末のさまざまな激動のなかにあって、それでも心の拠り所を見出すために。
勝海舟にとって「書」とはかけがえのないアウトプットだったのではないだろうか?
達筆なのだけど少し物悲しいような。この書をみて、そんなことを感じました。
最後にひとこと
歴史的な出来事そのものよりも、こうした「書」にまつわるエピソードに心打たれます。
”自然にさからわずあるがままに”
”天理にそむかずに生きてゆく”
「楽天理」
とても素敵な言葉。
これって、”マインドフルネス”にも通じるのではないかしら?
楽天理は、私にとっても座右の銘になりました。
勝海舟のしたためた「楽天理」の書。今どこにあるのかは残念ながらわかりませんが、いつかきっと出会いたいです。