先日、Jディスカバーの忘年会に参加し、出版コンサルタント・代表の城村典子さんの”粋なお取り計らい”により、参加者はみな、くじびきで本のプレゼントをいただきました。
ワタシが引き当てたのは、岸本葉子さんのエッセイ。
『「そこそこ」でいきましょう』というタイトルに、とても惹かれました。
岸本葉子さん
それまであまり存じ上げずに恐縮ですが、あらためて、どんな著者さんなのかをネットで拝見してみました。
田中康夫さんの「なんとなくクリスタル」(1980年)へのアンチテーゼ、といった趣の「クリスタルはきらいよ」(1985年)が岸本さんのデビュー作である小説。
岸本さんとは偶然、同世代のようなので、この、「キライよ」って感覚、泥臭いワタシ(笑)には、とっても分かります。
当時は会社員であったそうですが、その後、文筆生活に専念され数多くのエッセイ集ご出版で活躍されていたところ、2001年にがんを患われてしまったそうです。
その経験と2011年に起きた東日本大震災を経て至った「そこそこ」のご心情。
本書はそうした岸本さんからの「ゆったりまったりやりましょう」…といった、とってもやさしい綴れ織りです。
響いたこと
ご高齢のお父さまとの日々や、町のなかの風景や、病気との向き合い方や飲んでいるお薬のことや…まさに”つれずれなるままに”というエピソードの数々。
後半とくに、多くの章を使って書かれているのが、俳句をたしなむようになってのメッセージ。
とても響きました。
以下、本書から引用させていただきます。
- 作者の「私はこういうことを感じてほしくて作りました」という意図が五七五のすみずみまで支配すると、ふくらみを妨げ、句を狭いものにしてしまう。
- ”報告の句”のみではよくない。事実そのままでも、心が動いたことが伝わるならば、報告にとどまらず共感いただける。
- 表現行為ではあるけれど、自分を出しすぎず、”他者に預ける部分”を残しておく。
- 心が動くのを原点としながら、他方で自己抑制をはたらかせ、句にまとめ上げてゆく。
俳句とブログは、もちろん異なるものですが、「書くこととは」について、あらためて深い気付きをいただくことができました。
今日の一言
偶然に”ワタシのところにやってきた”書でしたが、楽しく読ませていただけたー!
「そこそこ」の表すところの、ときにより縮んだりふくらんだりするのが、悟りきっていない私の弱さだけれど、「そこそこ」を旨としていくことは、ぶれないつもりでいます。
”あとがき”での結びの言葉も岸本さんの、清々しいようなご信念がうかがえます。
城村さんから、それぞれの一冊ずつにメッセージカードが添えられていたのですが、そのとおり、
どんな人生の苦難があっても、つれずれなるままに書き続けることのできるエッセイストって、素敵なお仕事ですw
「引き当ててほしい人のところに届きましたね。」とおっしゃっていただき、あらためてこの偶然に感謝です。
城村さん、素敵なプレゼントをありがとうございました。