東日本大震災から9年 世の中が大変なときに私ができること【2020年3月11日】

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こんにちは。毎朝おはようツイートをしている ねーさん(@nesan_blogger)です。

これからの一日を迎えるのに、どんなことを感じてなにを伝えたいか。140字に思いを込めての発信。

2020年3月11日の朝ツイート。
東日本大震災が発生して9年です。

震災のことを書こうか、いつもの日常のことを書こうか、かなり悩みましたが結局、後者にしました。

世の中が大変なときに自分ができること。

ご紹介します。

2020年3月11日のツイート

フォロワーさんたちのツイートを見ていると、震災についての内容も多い。

犠牲となった方々への哀悼の意、一日も早い復興への願い、こうして生かされていることへ感謝。

心打たれます。

ひとつひとつ読みながら手を合わせたり、リプ(返信)をしました。

一方、自分のツイート。

当日は、この春一番といえるほどの暖かさ。
2020年3月は、新型肺炎の影響で世の中全体がドンヨリしてしまっていている。

少しでも明るいつぶやきをしよう。

そんな思いを込めました。

2011年3月11日のこと

震災当時。私はブログもTwitterもやっていませんでした。

あらためてその日のことを書きます。

地震直後

時刻は14時45分過ぎでした。

オフィスにいて今まで経験したことのない大きな揺れを感じ、咄嗟に何をしていいのか分からず。
男性陣が周囲の保管庫が倒れてこないように支えてくれたことだけを覚えています。

その後、続々とやってくる情報の嵐。
窓の外を見やると大勢のひとたちが駅へと向かっています。

ほどなく、ほぼすべての交通機関がストップ。
おそらく今日は帰れないだろうと覚悟しました。

部下さんたちの安否確認と、家族との連絡

なにをさておいても、部下さんたちの安否確認です。

我が事業部は全国を出張して回っているメンバーが多数。
会社が利用している「安否確認システム」が機能してくれて、電話やメールを使うことなく、当日中にはシステム上で全員の安否確認ができた。

心底ほっとしました。

次に家族との連絡。
夫はたまたま休みで自宅にいて、すぐに連絡が取れた。
携帯電話での発信はまず不可能な状況でしたので、オフィスビルの1階にあった公衆電話を利用。

バイトに行っている息子と、関東に住んでいる実家の両親にもなんとか連絡が取れました。

あとのことは夫に任せて私は職場に戻ります。

オフィスに泊まる

夜になって、半分くらいのメンバーが徒歩で帰宅を…と退社していきましたが、私は、残ったみんなを差し置いて帰ることはしませんでした。

周辺の飲食店は営業していたので、食料や飲料を仕入れてきて、シェアします。

そうこうしているうちに日付けも変わり。

オフィスの床に段ボールを敷いて、みんなで雑魚寝をすることにしました。
妊婦さんもいて心配になりましたが、なんとか凌げている様子。

眼はつぶるもののほとんど寝れずに朝を迎え、電車が動く音を聞いたときには嬉しくなった。

翌日は土曜日でしたので、ようやく復旧した我が路線の報を聞いて私も帰宅の途に。

幸い自宅では大きく破損したものがなく済みました。

その後も部下さんたちが帰宅できたかをひとりひとり確認。夜には全員の無事帰宅も確認できました。

自分にできることを一生懸命に

被災地の様子は心配なことばかり。
自分の身の回りでも余震や計画停電、食料品や生活用品の枯渇で不安な日々。

私にできることといったら。

一生懸命働いて経済の一端をになって。それくらいしかない。

ならば頑張ろう。
とにかく「毎日、いつも通りに」と誓ったものです。

今はこうしてブログを書くようになり、一生懸命働くことに加えて、なにかをひたむきに発信すること。

世の中が大変なときに。
それも、自分にできることなのだと思っています。

東日本大震災で犠牲となった方々へ、謹んでお悔やみ申し上げます。
被災地の一日でも早い復興を、心よりお祈りしています。

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この記事を書いた人

ねーさん

ねーさん

女性管理職/100年ライフブロガー

30年以上会社勤務と子育てをしながら、40歳で正社員復活し、現在は一部上場企業で管理職。定年を間近に控えてこのままで良いのかと悩み、様々な学びと、出会った師匠たちに救われる。この経験により「今後の100年ライフを楽しく過ごし、同じような人を一人でも増やしたい」というビジョンのもとブログで情報発信中。

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