年賀状を出すのが、年々億劫になってきています。
なにしろ最大の障壁が、年賀状ソフトのアップデート。
ワタシは「筆王」というソフトを長年使っていて、住所録データもすべてこの中に蓄積されている。
しかし、今使っているPCでは利用できず、押し入れに仕舞ってある"壊れかけな古いPC"でしか対応できないのです。
さりとて、市販の年賀状を買ってきて、宛名を手書きする気力も持てず。
一年前にこんな記事を書いていました。
いよいよ、2019年は止めよかっかな~と思っていたところ。
あるブログが心に留まりました。
イングリッシュ・ドクター/西澤ロイさんのブログ。
英語のご専門家なのに、なぜ「年賀状」トピックなのだろう?
興味深く、その記事を読んでみました。
とくに、ハッとしたフレーズ。
そもそも言語には、「意味のない部分」と「意味のある部分」
とがあります。
(中略)
意味のない部分に支えられて、意味のある部分が成り立つようにできているのです。
(中略)
最終的には、年賀状をやり取りするという行為に「どれだけの意味を見出せるか」
という問題なんです。
(中略)
・昨年、どんな出来事があったのかを自分で振り返るキッカケになる
・大事な人たちに、自分の近況を報告する
という意味合いを、私は年賀状に見出しているんです。
なるほどなるほど。
確かに、形骸化した年賀状は送っても意味がない。
でも。
なかなか会えない知人や、年配で紙のメッセージを頼りにしている親戚や。
そんな方々に届けるのに「年賀状」は、"命綱"でもある。
まさに「意味のある部分」なんだ。
何より。
日本語だろうが英語だろうが。
言語のご専門家である、ロイさんのメッセージ。とても刺さりました。
お店にはたくさんの、既製品年賀状が売り出されている。
壊れかけたPCにさらに鞭打って(笑)筆王で今回もチャレンジするか。
既製品で宛名書きをがんばるか。
まだ心が決まっていないのですが。
これまでは、100枚近く作っていたのを止めて。
意味のある数10枚にぜひ、心を込めたい。
そんなことを考えるに至りました。