「応援されたいのなら、まず、自分から応援しよう」昨今よく耳にする機会が増えました。
人に何かをお願いする前に、役に立てるような行動を先出しする。確かにそのとおりだと思います。
とはいえ。
その応援、本当に心からやりたいの?ということを、蔑ろにしないのも大事。
自分は「ギバー」なのか「テイカー」なのか…心の葛藤があるときの考え方について。私の経験を交えて解説します。
テイカーよりもギバー その大切さは理解できる
「ギバー」「テイカー」というフレーズ。
米国ウォートン・スクールの組織心理学研究者・アダム・グラント教授によって提唱以来、取り沙汰されるようになってきました。
「ギバー(giver)」は、自分より他者を優先して、相手へ与えることを厭わず見返りを期待することもせず、いわば”奉仕する人”
「テイカー(taker)」は、常に他者から多くを受け取ろうと自分の利益優先。俗に言う”クレクレ星人”
一見、テイカーの方が得しそうなイメージが持たれやすいですが、実はギバーの方が成功するというのも、説かれています。
確かに、周囲にギバーに徹している人も多くて、尊敬することもしきり。
なのですが、自分もそうありたいと実際に応援してみても、相手に気付かれなかったとしたら、ちょっとガッカリしてしまいそうになります。
応援した相手に気づかれなかったとしてもOK
実際に、そんな経験がありました。
ある活動を推進している友人から「できればSNSやブログで応援してもらえませんか?」と、仲間に対して依頼があって、その趣旨に共感すること多々あったので、私も応援のSNSを投稿しました。
すると。
「皆さん、なかなかお忙しいようで…応援されたいのならまず自分から応援しましょう、といいますよね。私も応援してくれた人は応援したくなります」
と、また連絡がきます。
おそらく、彼女は私の投稿に気づかなかったのかもしれません。
その応援、本当に心からやりたいの?
彼女を悪く言うつもりは決してありませんが、もしかしたらご本人「ギバー」のつもりでいるけれど、実は「マッチャー」ではないのかしら。
マッチャーとは、前段落でお伝えしたアダム・グラント教授によると
ギバーとテイカーのちょうど中間。常に公平という観念に基づいて行動します。与えられなければ与えないし、何かをしてもらったら恩を返すというタイプです。
完全に無欲な人間なぞ存在しませんから、それも仕方ないです。
できる限りギバーでいたいと思うものの、心のどこかで見返りを期待して、それがこなかったらガッカリしたり、人によって態度を変えてしまったり…お恥ずかしながら私もしょっちゅう。
そんな葛藤もありつつ「心からやりたい」と思えば応援すれば良い。
自分の気持ちスッキリできていれば、その後どんな展開になろうとも気にせず済みます。
最後にひとこと
「応援してますよーーー」とアピールすれば良いのかもしれませんが、それもなんか違うなぁと思ってしまうもの。
ご本人に気付いてもらうことが大事なのではなくて、自分が応援した人のことを、また違う誰かが興味を持ってくれたら嬉しい。
ギバーなのかテイカーなのか?悩んだら、この点にケアすれば良いかもしれません。