父90歳、母89歳。
私の両親はこの記事を書いている2021年現在、かなりの高齢ですがありがたいことに2人とも健在。自宅で元気に暮らしています。
今でこそ尊敬の念を抱くようになりましたが、実は私は親が苦手でした。
最近両親と約束していた用事に別の用事が重なってしまい、どうしようか?というときに、ほぼ迷わず両親との用事を優先することにしたのです。
以前だったら、親との用事なんて後回し。
なぜ、そんな気持ちになったんだろう?そのワケについてお伝えします。
親との用事を優先したいと思ったワケ
まずは、その理由について。
今回の用事は私の息子、つまり両親にとって孫の誕生日祝いをするという目的です。
彼の誕生日はとうに過ぎていて、その当日前後から計画を立ててきたものの、残念ながらコロナ禍で幾度となくリスケ。
ようやく緊急事態宣言が解除されて、やっと実現までこじつけつつありました。
そこに生憎自分が大切にしているコミュニティの用事が被ってしまったのですが、あらためて考えてみたときに。
- 高齢の両親と仕事で多忙な息子が会える機会、再調整しようとしたらさらに先送りになってしまう
- 久しぶりに孫の顔を見ることを、何より楽しみにしている思いを大切にしたい
少々スピリチュアル的な表現になってしまってすみませんが、長生きしてくれている両親の意を汲むことが、今の私にとっては「神の領域」に思えたのです。
親が苦手だった私
とはいえ。
冒頭にも書きましたとおり、長年に渡って親を苦手としていました。
かいつまんで言いますと、3歳上の姉と比べられていつも「出来が悪い妹」というレッテルを貼られてきたからです。
詳しくは別記事で書いています。
ま、親だって所詮は他人ですから、その思いを自分がどうこうすることもできませんし、姉は期待通り・妹は期待外れって感想があったとしても、私自身の人生にはあまり関係ないこと。
ずーっとそうやって捉えることで、どこか平気を保とうとしていたのかもしれません。
友人からの一言で気付いたこと
私自身もほぼ還暦間近で、親は100歳間近なのに元気でいてくれる。
きっとすごくありがたいことなんだろう。
ずっと苦手にしてきて、避けてきて、後回しにしてきて…逆に、得意にして、優先してって切り替えようとしたところで、もうあと何年も残されていないかもしれない。
それでもつい、自分の用事を先んじようと考えてしまった往生際悪い私。
極め付けは同級生の友人からの一言でした。
彼も「私の用事」の関係者の1人だったのですが、「ごめん。親との約束で行けそうにない」って伝えたときに
「自分の両親はとうに他界してしまったから。ねーさんのご両親が健在って凄いから大切にしてね」
この話を聞いて、あらためて"神の領域"だと痛感したのです。
最後にひとこと
そんな折に父から電話が架かってきました。
「◯月◯日、待ち合わせ時間は◯◯、場所は◯◯君(息子の名前)の行きたいところでよし、以上」
ヤレヤレ。どこまでも矍鑠(かくしゃく)としている我が親に感服です。