友人の逝去に思う 親しさの度合いよりも一瞬でも助けてもらえたことに感謝

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友人の逝去の報が届きました。

数年来がんを患っていて、手術で一旦回復されていたものの残念ながら闘病叶わず永眠。

実はこの友人とはとても親しかったのではなく「一瞬助けてもらった」間柄なのです。あらためて感謝の思いを込めてこの記事を書きます。

私は友人にどう助けてもらったのか

友人の名前を仮にAさんとします。

元々は、別の友人が開催してくれたイベントで偶然Aさんとご一緒したのが、出会いのきっかけ。

当時、私の息子は恥ずかしながら行方不明でした。
まだ学生だった彼は、親の私が計り知れないところで様々な壁にぶち当たっていたようで、ある日突然書き置きを残して居なくなったのです。

どうしていいか解りません。それでも生きていかねばならない。

初めて会ったばかりというのに、Aさんについ、そんな思いをぶつけてしまいました。

すると。

「ねーさん。僕の息子も似たようなことがあってね。その後立ち直ったから、きっと息子さんも大丈夫だから」

同じような経験をされている人もいるんだ。

ビックリするとともに、Aさんが繰り返しかけてくれた「大丈夫だから」という言葉がとても心に染みて目頭が熱くなりました。

どれほど心強かったことか。苦しい日々に一筋の光をもらえたのです。

息子の問題が解決した矢先、友人が病に倒れる

それから半年ほど経った頃でしょうか。

息子が帰ってきて、どうやら心に様々な悩みを抱えていることが解って、相変わらず見守るしか術のない日々です。

それでもジタバタせずに済んだのは、Aさんの「ねーさん。大丈夫だから」の言葉のおかげでした。

しばらくして健やかに過ごせるようになったときは、心底安堵。

お礼を伝えようと思っていた矢先に、残念ながらAさんにがんが見つかってしまったのです。

今度は私が「何か一瞬でも助ける」番。

ささやかなお見舞いを送ったり、AさんのSNS投稿を見つけてはいいね!をしたり、可能な限り返信をしたり…その程度のことしかできませんでしたが、「ありがとう」といつも返してくれて、ほんの少しでも役に立てていたらいいなぁと思っていました。

手術後しばらくして復帰されたときは我が事のように嬉しくて、お会いする機会があったときに、あらためて「息子今はスッカリ元気になりました。ありがとうございました」とお礼を伝えることもできた。

ところが、その後1年程して再び病に倒れ、帰らぬ人となりました。

親しさの度合いよりも、助けてもらえた恩は掛け替えがない

人は1人では生きていけません。

様々な人たちに支えられているからこそ、困難に遭っても乗り越えていける。

親しさの度合いだけでなく、私にとってのAさんのように人生の中のほんのひと時を共に過ごしただけの間柄であっても、支えてもらえるのです。

息子が元気に過ごしている姿を見るにつけ、Aさんからもらった掛け替えのない恩に感謝でいっぱいになります。

最後にひとこと

海が好きですぐ側に海が望める町に住んでいたAさん。

これからも時々その場所を訪れて、心の中で感謝の言葉を伝え続けていきたい。

この記事が天国のAさんに届いてくれたら嬉しいです。

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この記事を書いた人

ねーさん

女性管理職/100年ライフブロガー

ワーキングマザー29年、40歳で正社員復活し、現在は一部上場企業で18年管理職。「100年ライフを楽しく過ごし、同じような人を増やしたい」というビジョンを広げるためブログで情報発信中。山手線 全駅の記事も人気。

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