「開く」ことがあるなら、「閉じる」ことがあってもいい
会社の人間関係って、ある意味ドライなもの。
でもプライベートは違います。自分から会いに行って、繋がらせてもらう。そのご縁を大切にしたい。
なのですが。
ずーっと「開き」続けていると、時として疲れてしまう。
気が合わないな…という人にも、なんとなく表面上では仲良くしようと努めてしまう。そんなことってあります。
この記事を読むと「誰とでも仲良く」という思い込みから、少し自由になれます。開くことがあるなら、閉じることがあってもいい。そう思えるはずです。
「開く」ことで、かけがえのないご縁に恵まれた
ここ10年くらい、プライベートでは「開く」ことをかなり頑張ってきました。
イベントに出向く。SNSで自分から声をかける。コミュニティに参加する…etc.
おかげさまで素敵なご縁に恵まれて、学びの師匠や先輩や志を同じくする仲間は、私にとってかけがえのない存在です。
だから「開く」ことで恵まれた。逆に言うと開かなければ何も始まらなかった。
なのですが。
仲間として支え合って励まし合って…そんな間柄だと思っていたのに、実際に何かを共にしたいと声をかけるとスルーだったり、人によって態度を変えていたり。
もしかしたら、仲間だと思い込んでいるのは自分だけなのかもしれない、そんな出来事が続いたのです。

「閉じてもいい」と決めた友人の潔さ
偶然にも、友人の何人かが同じことで思い悩んでいると聞きました。
「色々と協調してくれたり後押ししようとしてくれたり、口ではそんなふうに言ってくれるのだけれど、実際には行動が違っていて。自分が大切だと思っていたことが実は相手にとっては大したことじゃなかった。」
そっか。それは残念だよね。
でも、よくよく考えてみると。自分が期待している分、相手も期待してくれているはず…そう思うこと自体が、そもそも勘違いなのかもしれません。
その友人が、こう言いいます。
「好きな人とだけこれからは繋がっていよう。この人違うな、というときは関係をクローズしてもいいのかな。今そんなふうに思ってる。」
共感しました。潔く思い切ろうとしている彼女、尊敬です。
心の中で、そっと線を引く

閉じると決めることは、冷たいことではありません。
本当に大切にしたい人に集中する、ということなのですから。
とはいえ、私はあんまり潔くなれません。何かキッパリとした理由があるわけではなく、単に性格的な問題です。
だから私なりの「閉じる」は、
・バッサリ断ち切るのではなく、心の中でそっと線を引く
・そうしたお相手には、これ以上開きにいかない
表面上は壊さないけれど、無理はしない。
それでも、まだシンドくなってしまったら、閉じる栓をよりきつくしてもいい。
誰とでも仲良くすることって、やっぱり難しいのです。
最後にひとこと
もうひとつ、気づいたことがあります。
私だって、誰かに閉じられてしまう存在になるかもしれない。
自分が閉じようとするからには、その覚悟も、きっと必要なのですよね。